貴方の人生は、貴方のものです。
泣きたいくらい、悔しい。
どうして人間の可能性を潰す経営者ばかりが、社会に蔓延っているのかな?
会社は「利益」がすべてですか?
数字を上げることだけが、ビジネスの「正義」ですか?
人間としての尊厳は考えず、機能性としての「労働力」ですか?
ある従業員が「辞めたい」と切り出した途端、会社側は必殺・手の平返しをしました。
「来年になれば、もっといいように環境も人材も変えるから!」
「これからは、もっと待遇するから!」
結局、そんな言葉を信じてしまい、またズルズルと現状にあまんじてしまうはめに。
確かに、新しい環境に移動するということは、人間である以前に、生物として考えても多少の痛みやリスクをはらむことです。
「とは言われたものの、実際はどうなるか分からないし、辞めたい気持ちは変わらない!」
いやいや、そんな気持ちを宿してまで、その場にとどまることが、どれだけのリスクをはらんでいるのかを彼女は知らない。
あんなに不遇な目に遭ってまで、なぜその環境を〝 選択し続けている 〟のかが分からない。
きっと彼女は、「私が決めてるわけじゃないの!」と反論するかもしれない。だけど残念ながら、選んでいなくても、選んでいるのだ。
コントロールする側の甘い言葉に誘われ、流され、希望的観測でしかない言葉に惑わされ、土壇場で揺らぐ心。
貴方もしょせんは、損得勘定ですか?
なんで、自分以外の誰かのために人生の貴重な時間を消耗し、エネルギーを奪われ、命を削っていることに気づかないのかな?
なんで、物事をもっと広い視野で、人生レベルで考えないのかな。
我慢は美徳?
それはケースバイケースです。
それに大前提、「忍耐」と「我慢」は似て非なるもの。
つまり「耐えて実になる努力」と、「削られていく我慢」はまったくもって違います。
そんななか、私は言葉しかかけてあげることが出来ないもどかしさ。
やりどころのない悔しさを、今文字に起こし、吐き出してるなうなの。
決めるのは「本人」だって分かってる。
お節介はしないように、誘導尋問のように自分の価値観の押し付けはしないように、気をつけて話はする。
言葉はデリケートだから、注意を払ってチョイスはするけど、やっぱりいいように使われるのが目に見えている状態で、決断を相手に委ねるのはやっぱり胸が痛みます。
だから今、スゴく切ないの。
「人間」は、誰もが例外なく、素晴らしい才能の種を宿して生まれてきます。
それは貴方も、私も、皆平等に。
とはいえこれは、スピリチュアルな話ではなく、極めて〝 現実的な話 〟です。
あくまでも「種」だでしかないということ。
だから自分で発芽させ、手をかけ、養分を与え、時間を要しなければ、当然「才能」という花も咲かないし、「豊かさ」という果実も実らない。
世界的に有名なベストセラーを生み出したジェームズ・アレンの著作にもある通り、この現実世界は『因果関係(カルマ)』によって引き起こされている、ということ。
量子力学でも結論が出ていますが、人間の意識から、すべてのものは創られ、造られますから。
だから何度も言うけど、「人間」は、誰もが例外なく、素晴らしい才能の種を宿して生まれてきます。
だけどね、問題は、すくすく育っている芽を摘む人たちがいるっていうこと。
それも大勢いる、もっと言えば、国単位の組織で行われる。
それが本当に、本当に悔しい。
皆本当は出来るのに、もっとやれるのに、心ない不勉強な人たちに、その希望の芽を踏みにじられ、しまいには「花を咲かせる」意思すら放棄させられてしてしまう。
私たちは、「花」だということを忘れさられてしまうの。
「弱者」と「強者」という言葉も、響きも好きじゃない。
だけどキレイゴトで抜きにして、理不尽な想いを強いられ、不遇な境遇にいるのにも関わらずに、それに気づかないのか、気づかないふりをしているのか。
その心境は分からないけれど、とにかく「自分では何も出来ない」と思い込み、思考や感性を働かせることを放棄し、ニンジンをぶら下げられながら良いように利用され続けるのは、「弱者」以外の何者でもありません。
私腹を肥やすために、人間を労働力としか扱えない「支配者」も嫌いだけど、思考停止で生きているくせに、被害者意識丸出しの「弱者」は、もっと苦手です。
もっと、健全でフェアな世の中になって欲しい。
もっと、人生の可能性に気づいて欲しい。
もっと、自分と言う人生のパートナーのことを理解してあげて欲しい。
もっと、心豊かに生きて欲しい。
・・って、「欲しい」っていう他力本願な考え、私もダメね!
以前までは、私達一人が世の中を変えることなんて出来ないと〝 思い込んでた 〟
そうやって、自分の可能性の芽を摘んでいたのは紛れもない、自分自身だって言うことに気づいた。
だけど今回、しょせんは他人事なのに、こんなにも悔しくて、胸が痛い。
この「怒り」というエネルギーによって、行動を促されたようです。
一人がフラッグを挙げないことには、何も始まらないよね。
1から5、5から10は、試行錯誤をすれば、もっと言えばテクニックでも案外いけちゃうものです。
だけど肝心の0から1の「起動力」を使う時にこそ、最もエネルギーを必要とするんです。
飛行機だって、離陸した瞬間から軌道に乗せるまで緊張感が漂うし、ビジネスだって軌道に乗るまで辛抱しないといけないこともある。
つまり、0から1の「軌道に乗せる」ことは、どの分野に置いても共通する部分であり、現実化までの普遍的な『法則(ルール)』なのかもしれません。
ということである意味、今回の経験は私にとってはショッキングでもあったけど、結果的に良いキッカケを生む機会となりました。
というか、お陰で、やるべきことがクリアになった。
もっともっと、心のままに、豊かに生きる人々を増やしたい。
もっともっと、自分の可能性に生きて、二度とない人生を主体的に、自分の未来を創っていける社会にしたい。
もちろん「社会」っていっても、単位がドでかいので、その最小単位である「個人」の意識を変えることが先決ですね。
最近はもっぱら哲学(形而上学)、神秘学、世界の宗教に夢中。それと私の得意なビジネスを統合すると、情報発信にビッグバンが起きそうな予感。ワクワク
— ネコ科の女。 (@i_am_nekoka) 2020年10月13日
やっぱり混沌とした時代だからこそ、自然界のリズムに調和する豊かな生き方を説いてきたいな。(とくに幸せ<<労働のパラダイムの日本人に!)
マジで、皆さん、これからの時代は “ Return to Human ” です!
そして人生は、自分のアート作品です。
『自分でデザインし、創造していくもの』だから。