ネコ科の女の探求聖書

見えない世界を見方につけて、アナタ独自の楽園を生きる

私にとっての、自由とは?

『自由』

この言葉は私にとって、「空気を吸うこと」と同じ意味を持つくらい、プライオリティが高い重要な概念です。


それは、「なぜ?」と聞かれると困ってしまうほど、物心ついたときから、そこは譲れず変わらないスタンスでした。



しかし、『自由』と一言で言っても、人それぞれ考える『自由』は違うと思います。


例えば、私が大学生のとき。

小学生のときから敬愛する叶恭子さんの著書にあった言葉に、首を何度も振ってしまったことを覚えています。

なぜなら、自分がいう「自由」の概念に近いなぁと感じたからです。


『私は、いつも自分に素直に生きることを追い続けていきたいのです。

「自由」こそが私のエネルギーを生むのだし、「自由」であることが自分にとっての幸せの基本のひとつだと言うのに。(私にとって束縛は、愛から最も遠い位置にあるような気がします)』


この恭子さんの言葉からは、場合の2つのメッセージが読み取れるます。

1つ目は、揺るぎない「自分」という価値基準で生きることを貫くことが自由と同義である。

2つ目は、私が冒頭で言ったような、生きるために必須な物質であるようなニュアンス。



ちなみに国境を超えて文化が違えど、「自由」を本能的に追い求める「人種」が一定数いるようですよ。(確か、どこかのアメリカの論文で出てたけど詳細は忘れちゃった・・)

これは私自身もなぜだか分からないけど、物心ついたといいから「自由」というものに強く憧れていたし、もっとも欲していたものだと言っても過言ではありませんでしたね。


つまり、自由と一言で言っても、十人十色で、様々な形の「自由」が存在するということ。


このおぼろげな概念をただただ、なんとなくで掴もうとしているうちは、

まるで雲を掴むような不確実な行為になってしまう。


だから、もっともっと、自分にフィットする自由の定義をクリアにしてみよう。


アナタが連想する自由のイメージって何ですか?

どんなことをしている時、または、していない時が自由だと感じますか?


一度、考えてみるのもいい機会かもしれません!



それに結局、「自由」とは、自分にとって価値あるもの(価値観)を大切にする時間を多く過ごせる人に、私は自由を見出だしますね。