ネコ科の女の探求聖書

見えない世界を見方につけて、アナタ独自の楽園を生きる

「風の時代」へのパラダイムシフトへ

2020年12月22日、『占星術』では220年ぶりである、時代の転換期といわれています。

それは別に「星読み」ができるか否かは関係なく、誰もが体感として感じている変化だと思います。


とくに最近では、「コロナウイルス」が世界で猛威を奮っていますね。

私の見解としては、このコロナを単に「ウイルス」としてだけの視点からとらえているのではなく、

「コロナというモノがもたらすものは一体何だろう?」という方向から、この一連の流れを観察してきました。


(常に、「目の前の出来事の源流は、どのようなエッセンスがあるのだろう?」と考えてしまう気質なのでね!)


そこで行き着いた答えが、コロナは「新時代の生き方」を加速させていく存在だというところに着地したんです。


というのも話を戻して、『占星術』というツールはそもそも古代ギリシャ時代から使われている「人智の結晶」であり、

その時代の医者である『ヒポクラテス』は「患者のホロスコープを解明できないものに医師の資格はない」と断言したほど、

占星術の知識が「人体」をみるうえで、マストになっていたということを物語っています。


「宇宙のアルゴリズムと人体のDNAは関連(フラクタル)している」

という、自然界(宇宙)の法則性に、人類の祖はたどり着いたようです。


そんな、高い的中率を誇っていた「自然科学」をベースにした統計学占星術


そんな星読み(以下、占星術をこう呼びます)をして読み取れるのが、『風の時代』とも言われる、

新しい時代を象徴するキーワードが、3つあります。

それが、「知性」「情報」「繋がり」です。


そして大きい時代のサイクルも、男性性的なものから女性性的な要素を持つ流れへと変化してきています。

ハイステータスな学歴や職歴を成功の基準とし、物質的な豊かさを追求してきた「昭和」の時代の価値観。

まさに、男性性の時代です。


しかし最近は、「生き方」を振り返る人が増えていき、「どうやって生きていくか?」という生存を目的にした時代ではなく、

「どう生きていくか?」という個体としての〝 在り方 〟にステップアップしている高度な時代だと感じています。


つまり、『星の王子さま』に出る一説の「本当に大事なものは目に見えない」というフレーズが物語っています。

他人に誇示するために作り上げた豊かさよりも、より本質に向かっていき、

誰かが提唱する豊かさではなく、『自分サイズの豊かさ』を追求していく時代だと痛感しています。


別に、ゆうめいだいがくじゃなくてもいいじゃん。

別に、正社員じゃなくたっていいじゃん。

別に、結婚だけが女の幸せじゃないのよ。


とにかく、『自分の本質にフィットする生き方』を、私たちの魂は求めているはずなんですよ。


これからは、「働くこと」にフォーカスするのではなく、

人生においての「幸せ」を追求するための「働き方」にシフトしていきましょう。


それでは、またの機会に『風の時代の生き方』を体系的に記事にしていきたいと思います!

この世は「マトリックス(幻想)」だから頑張る必要はないは本当?

この世は「マトリックス(幻想)」だから頑張る必要はないは本当?
ビジネスやお金の話、社会的な成功を目指すことを頑なに否定する人たちがいます。

いくら時代の流れで、「スピリチュアル」が流行ろうが、頭で『あの世』の仕組みを理解したとしても、

実際問題、毎日の生活や仕事のこと(お金のこと)、つまり生きているうちは、

『この世』の営みから逃れることは、残念ながらできないんです。


そういう大前提(理性)を飛び越えて、目に見えないドラマチックな世界の話を鵜呑みにしてしまうと、

スピリチュアルリーダー(情報発信者)のセミナーなどに散財したり、

現実離れした情報に振り回されて、現実を生きることが逆にしんどく感じてしまうことがあります。

(これは私の実体験含め、セミナーで会った人たちと直接会話して得たもの!)


それに私自身、スピリチュアルな精神世界に傾き〝 過ぎて 〟しまった時期があったからこそ、

現在進行形で目に見えないふわふわとした世界に熱心な人の心境も、痛いほど分かるつもりです。


だからこそ、一番厄介なのが「スピリチュアル」と聞くだけで、反射的に「神聖なるもの」という思い込みがある場合。

水戸黄門の印籠になってる場合ね!)


情報を体内で処理できない人ほど、「情報」を咀嚼する力(情報リテラシー)が弱いために、

〝 味を確かめることなく 〟インプットしちゃう場合があるんですよね。


だから当時、「偏った意識」で生きていた私は、借金を抱えていたときに何て言ってたかというと、

「お金がすべてじゃない、お金がなくても十分幸せに生きていける!」

なんて強がってたし・・


現実が辛いときは、「現実はマトリックス(幻想)でしかない! いい加減、現実世界で消耗することから目覚めたら?」

って本気で信じてたから、今だから言える話、頑張っている人のことを〝 無駄なあがき 〟のような感覚で見てしまったこともありました。

本当に、感じ悪いヤツだったなぁ(苦笑)


今聞くと、赤面してしまうようなことを真面目な顔して言っていたなぁと、そんな自分を懐かしくも思いますがね。


それこそ当時は、「この物理世界(この世)は本質ではなく、目に見えない世界(あの世)こそが『本当の世界』なんだ。」

というマインドセットをしていたんですね。

(だから心が〝 一瞬 〟気持ち良くなれるスピリチュアルセミナーに借金までして散財したこともあるんだけど・・苦笑)


つまり仏教でいう、この世を幻として認識する『空観』という心理(意識)状態だったんです。


それは、スピリチュアルな人たちがいう「この世はマトリックス(幻想)の世界」というのがそれに当たります。


確かに生物は例外なく、「生を受けて、死という宿命のもとに生きている」と、考えると、

その間の時間は仮想空間に生きているような「幻」とも言えますよね。


だけど残念ながら、私たちは、意識(精神)だけの存在では決してなく、

『肉体』という現実世界を経験すための〝 乗り物 〟に乗ってこの世に存在しているんです。


だからこそ、肉体を維持するために「お金」もかかるし、外の世界からのストレスも受けるから、

感情の残留物を散したり、栄養素を取り入れたり、新しいエネルギーをチャージするための「余暇」も必要なんです。


とはいえ一方で、頑なに目に見えることしか見ようとせずに(というかバイアスが強くて見えない)、

物理的な豊かさだけにとらわれている状態を、『仮観』と言います。


お金は多ければ多いほどいいし、高学歴(ハイステータス)勝っている。

という上下で人でジャッジする「選民思考」に繋がっていくんです。



つまり私は過去、必死でステータスを追い求めて「うつ病」になり、次にスピリチュアルにハマって現実に収拾がつかなくなり撃沈した。

という〝 対極の経験 〟があったからこそ、

今では自分にマッチする『中庸な生き方』が見つけられたような気がしています。

そう、仏教でいう『中観』という概念に当たります。


『中観』は、一旦この世を幻想だと認識したあとに、それを踏まえて、自分はこの世で何を成すか、そして外側に何を与えるのか。

人間それぞれに備わった「個性」を発揮し、社会に価値(機能)を提供することを決めて生きること。

そして、他の人もそれぞれ異なる個性があると認められることを言います。


つまり、『空観』から『仮観』、そして『中観』へと意識をアップデートすることは人生という枠組みへの理解を深くうながします。


とまぁ、その経験が糧となり、私の情報発信の土台となるテーマが築かれていったんだけどね。


「現実に活かしてこそのスピリチュアル」

「人間のスピリチュアリティを開いて、人生を遊ぶ方に生きる」

相反する概念を統合するには、もう一次元高い視点から見る必要があるんです。


そんな、今は「陰陽統合」の次元に、意識がアップデートされていきました。

きっと、人類がこの意識で生きることができたら、争いもいがみ合いもなく、異なる個性の共存(調和)が生まれるんではないかなぁ。

と、私は思っています。

「自由」の意味を明確にすると、自分の人生を自在にデザインできる。

あなたは今、「自分は自由だ」と感じながら生きることができていますか?

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もしこの質問に『Yes.』と答えられない、「自由とは何か?」という問いを抱いている場合、是非ともこの記事を一読してみてください。


アナタが抱いている「自由」という概念をブラッシュアップし、

これからの時代を「自分らしく」生きていくための『本質』を見つけるヒントになるかもしれません。


そして『自由』という言葉に宿る「本当の意味」を理解すると同時に、

その概念をアナタの人生に活かしてもらいたいと思っています。


それでは、この記事が、アナタらしい「自由の形」を見つけられるキッカケになれれば幸いです。


自分らしく生きるための『自由』を再定義する

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「早く実家(地元)を出て、誰からの干渉も受けずに自由に生きたい!!」

「既存のルールに従って生きることだけが人生じゃない。私は私らしい人生を歩んでいきたいの!!」


懐かしいかな、これは中高生の当時、いつも心の奥底で叫んでいたフレーズです。


年功序列のシステムが色濃く根付き、

「個性」や「創造性」が異端と見られる、北関東の片田舎で私は生まれ育ちました。


ゆえに、いつも「自由が欲しい!」「自由になりたい!」という思いを胸に生きていたように思います。


そして19歳、人生最大の試練が訪れます。

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約7年間というドン底期を抜け、闇を経験し尽くしたことで、

私のなかで様々な気づきが加速していったんです。


そのなかでも大きく意識がアップデートされたのが、

「自由という概念には種類がある」という発見でした。


2種類の自由:『Freedom』と『Liberty』の意味を明確にする。

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それはまるで、遠くから形は捉えられるけど、雲のように掴みどころのないような概念。

そんな『自由』という言葉には、2つの側面(意味)があることを知っていますか?

それが消極的自由である『Freedom』と、積極的自由の『Liberty』です。


例えば、私たちが普段『自由』を欲するときはどんな時でしょう?


「毎日の学校生活から解放されたい!(自由になりたい)」


「毎日の通勤、仕事場の人間関係がストレスフルで悩んでいる(または辞めたい)!(自由になりたい)」


「毎日の家事や子育てが負担で、旦那とのパートナーシップに不満がある!(自由になりたい)」

こういったニュアンスで使われることが、一般的だと思います。


しかし、残念ながら、これらは今回のテーマである『真の自由』の定義には当てはりません。

なぜなら、これらの根底にあるメッセージは「束縛からの解放」だからです。


日本語で表現すると「消極的自由」、英語でいう『Freedom』ですね。


つまり束縛するものが前提にあるので、

何かに「主導権を握られている」「支配されている」というニュアンスが強いです。


もっというと、人生の決定権が「外側」にあるからこそ『解放(From)』なんです。


ちなみに上記の「早く実家(地元)を出て、誰からの干渉も受けずに自由に生きたい!!」

という私の過去の願望も、心を縛っている「何者(何物)からの解放」がベースにあるので、『Freedom』を求めていると言えますよね。


真の自由は、「自分に由ること」

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ちなみに『自由』という言葉は、東洋思想(仏教)が由来になってるいなのはご存知でしょうか?

『自由=自分に由る』

この「由る」という言葉は、「それに起因する」という意味があります。


勘の良い人はピンときていると思いますが、これは『Liberty』の方の積極的自由をさします。

「物事の出発点は、常に自分から」

「原因の種は、自分のなかに在る」

「自分の真実(内側)に従う」

という、主体的なニュアンスを含んでいますよね。


つまり自らに由る『Liberty』は、「100%自分の内側に主導権がある」という主体性が宿っています。

そして、このメディアのコンセプトである『自分の運営・自分の経営』は、まさにこのスピリットを含んでいる概念です。


なので私の持論としては、「自分の内側に主導権(決定権)がある」という意識なくして、『真の自由』はありえないと思っています。


自由は、「自分の大切なもの(価値観)を優先していく」ことで得られる。

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仮に何かから「解放」されたとしても、実は、本当の意味での『自由』を実現することは出来ないんです。


なぜなら、自分のなかに〝 問題の種 〟があるうちは、どこに行っても(違う環境に移動しても)

「また同じような花(問題)」を咲かし続けることになるからです。


そして「なぜ『Freedom』が本当の自由を実現することが出来ないか?」

という答えを、私の実体験(黒歴史)をまじえてお伝えしていきたいと思います!


9割の人が『Freedom』を目指して自由になれない訳

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実は数年前、私は辛い現実から逃げたいために(無意識的に)、「スピリチュアル」という手段を使って『Freedom』の体現をはかっていたんです。


結局、あることがキッカケで「スピ迷子」から脱出し、「本来の自分らしい生き方(あり方)」を取り戻せた訳ですが、

ハッキリ言って、そういった〝 情報(外側) 〟に答えを求めているうちは、

残念ながら、現状、しいては人生が変わることはありません。


なぜなら、自分の『意識のアセンション(次元上昇)』が先であり、もっとも大事だからです。


それに、宇宙やアセンデッドマスターはじめ、スピリチュアルリーダーは、あなたの毎日の生活を決して豊かにしてくれることはないんです。

以前は〝 ソッチ側 〟にどっぷりとハマっていた人間の正直な感想です。


結局、「人生は自分自身でしか変えることは出来ないんだ」

という当たり前のことを、この経験を通して悟ることが出来ました。(セミナージプシーになって、「時間」と「お金」と「エネルギー」をすこぶる消費したお陰で・・苦笑)


『Liberty』は次元の高い自由の概念

先ほどのスピリチュアル迷子になった根本的な考え方は、「誰かが(何かが)人生を変えてくれるだろう」という受け身な姿勢にあります。

そして、成長のための試練(課題)から解放されることが、自由だと思っているんです。


しかし残念ながら、この世界に人間として生まれてきた時点で、

私たちは既に、何かしらの束縛(制約)のもとに生きていかなければならない「大前提」があるんです。

この認識が、とっても大切なんです!


それは決してネガティブな意味ではなく、

「踏まえて乗り越える」といった『宿命』のようなものだと捉えてみてください。


要は、社会に出れば「法律」というルールに例外なく全員が縛られるし、

消費をすれば「納税の義務」を課される。

もっと言えば、地球に生きていること自体が、「重力」の影響をもろに受けて生きることになるからです。


それを踏まえると、『Freedom』が持っている、ただ「解放されること」が『真の自由』ではない。

ということが理解できるはずです。


つまり、先ほどいった「踏まえて乗り越える」という、主体的な要素が『自由』を体現するうえでは必要不可欠になってくるんです。


つまり『自由』とは「解放(逃げること)」ではなく、

自ら「定義(選択)」していくことで実現していくものだということです。

それが今回のテーマである、『Liberty(積極的自由)』と定義しています。

この「踏まえて乗り越える」ということは、具体的にどういうことを言うのか?

という問いにピッタリなロールモデルがいるので、次の章で紹介していきますね!


生涯を通して『Liberty』を体現した、モードの女帝ココ・シャネル

それでは、自ら定義することで実現する『自由』つまり、積極的自由である『Liberty』はどうしたら実現できるのか?


それは、「自分の大切なもの(価値観)を優先していく」ことで実現していく。

ということを解説していきました。


そこで今回、その『Liberty』を体現して生きたうちの一人である「ココ・シャネル」の生き様を紹介していきます。

実は彼女、「派手な職歴」や表だったことばかりがピックアップされていますが・・

実は彼女のバックグラウンドは、極貧の家庭に生まれ、

早くに母は病死し、酒と女にだらしない父に、孤児院に捨てられた、という壮絶な過去があるんです。


実は、成功を掴むまでのプロセス、つまり「生き様」に『Liberty』のエッセンスが凝縮しているんです。

私は、私の人生を作り上げた。なぜなら、私の人生が気にいらなかったからだ。

私はこうなりたいと思い、その道を選び、そしてその思いを遂げた。そのためにしたことで、人に嫌われたり、いやな女だったとしてもしかたない。

もしここで、彼女が『Freedom』を求めていたら、きっと歴史に名を馳せる活躍はしていなかったでしょう。


なんとも彼女らしい、ちょっぴりスパイシーな〝 シャネル節 〟が効いた言葉ですが、

孤独を飼い慣らし、野望をエンジンにし、見事、一代で「帝国」を築き上げた彼女。


もちろんそれは、シャネルだけに言えることじゃなく、歴史上の偉人すべてに当てはまることだと思います。

それは、自らの人生における「宿命」を乗り越え、『自らの信念』を優先して生きてきたからに他なりません。



つまり、自分の持っている「知性」や「感性」といった武器を磨いていかないことには人生(=現実)は好転することはありません。

棚ぼた的なラッキーを期待して他力本願で生きるよりも、たった一度の人生を、積極的自由である『Liberty』を体現しながら、生きていく。

アナタはそう思いませんか?

自由を愛するネコ科の女の「探求聖書」、スタート!


改めてまして、ネコ科の女です!

つらつらとブログを書いてきましたが、今日から私の自己紹介やらヒストリーやらを本腰入れて(?)綴っていこうと思います。


『』の記事でも胸のうちを明かした通り、ここ10年で様々な〝 人生アトラクション〟を経験し、たくさんの学びを享受してきました。


そして2020年の冬至に当たる今日、この日を迎えるまでに、本当に山あり谷あり・・

多種多様の味わい深い体験の数々と、私なりの考察を、自分のペースで深めていきました。



そう、人生の早い段階で得体の知らない「生きずらさ」という壁にぶつかった、あの時。

そこが私の原点だったように思います。


それこそ昔は、この星の元に生まれたことを恨んだり、両親に当たり散らしたり・・

そんな自分が無価値感に苛まれて、もぅいっそのこと、「人生を終わりにしてしまおう」と考えたことも何度もありました。

(楽な方、楽な方と、逃げることを知ってしまった身体は無意識のうちに、癖というパターンをつくってしまうようです。)



だけどどこかで「人生を諦め切れない想い」も混在していたから、最後の最後で踏みとどまることも出来たし、

今こうやって皆さんにメッセージを発信する側の人間になれています。


これって、過去の私からしたら、本当に「奇跡」以外の何物でもない!



「人生とは?自分とは?自由とは?本当の豊かさとは?」

「なぜ私たちは、いつか死ぬのに生まれてきたんだろう?」


とっても根元的でスピリチュアルな問いですが、「自分を克服したい」という『向上心』と、「世界を解明したい」という『探求心』がガソリンになり、

これらが結果、私を突き動かしてきいぇいるように思います。



そして数年前、「人生最大のドン底期」と言える、約7年間の、長くて暗いトンネルからの脱することが出来ました。


そこで経験したのは、『カルマの燃焼』といっていいほどのスケールの出来事で、自我が燃えるほど痛くて苦しい体験をし、

私を精神的に支配していたエゴの〝 首輪 〟を焼き切るほど、ショッキングなものだったように思います。


当然、子供が大人になるためには、成長痛という心も体も「痛み」という儀式を通過する必要があるみたいです。


それらの経験をとおして、余分なものが捨て去られ、より本質的で「コアな自分」が自然と残っていった。

すると、心の底から、情熱が沸き上がってきて、より自分の使命なるものがシェイプされていき、視界がよりクリアに見えるようになっていきました。



それはまるで、別人に生まれ変わったような『変容』ともいえる、人生のステージを一歩登った瞬間でもありました。



そんな人生の闇を乗り越え、光を掴むことが出来た実体験の〝 逆転劇 〟をベースに、人生を変える学びを一人でも多くの方にシェアしたい。

そして、人生の壁にぶつかり、沼にハマり、現在進行形で〝 過去の私 〟と同じ境遇にいる人たちのに、少しでもお役に立てれば嬉しいです!


(ある意味で、時空を越えて「過去の自分」を救済するかのような心境なのかもしれません。)



そんな人生を歩む上でのインスピレーションや、これから始まる『風の時代』に最適化した「新時代の生き方」を中心に、

「人間としての自由や幸せ」、「自分にフィットするオーダーメイドの生き方と、自分サイズの豊かさ」を追求していくこと。


いわば、現代社会をサバイブしていくためには必須な『人生を自由自在にデザインしていく技術』といえるような、エッセンシャルな情報を発信をしていきたいと思っています!



そして最後に、『人生』は、今の状況がどうであれ、アナタは必ず幸せになることが出来る。

そして、諦めなければ、必ず好転することが出来るから!


とはいえそれは、逆境においても、たった0.1%でも自分を信じ、未来を信じ、光を胸に灯し続けることです。

例え、99.9%の闇が心を覆ってようとも、必ず、その小さな光が、いつかアナタを照らしてくれる太陽になるから。


まさに、開けない夜はないのです。



そういえば、以前読んだ本にも『明けない夜はない』というタイトルの良書がありました!

その著者は、牧師でありゴスペルアーティスト。内容は成功哲学としての『聖書』のフレーズを独自の切り口から解説しているものです。


本のコンセプトが、「人生に打ち勝つためのエッセンスを知ることができる最良の自己啓発書」という通りの良書でした。


あとは、宗教的な教養も身に付いて一石二鳥の本でしたよ!



それでは、改めて、皆さんよろしくお願いします。かしこ!

私にとっての、自由とは?

『自由』

この言葉は私にとって、「空気を吸うこと」と同じ意味を持つくらい、プライオリティが高い重要な概念です。


それは、「なぜ?」と聞かれると困ってしまうほど、物心ついたときから、そこは譲れず変わらないスタンスでした。



しかし、『自由』と一言で言っても、人それぞれ考える『自由』は違うと思います。


例えば、私が大学生のとき。

小学生のときから敬愛する叶恭子さんの著書にあった言葉に、首を何度も振ってしまったことを覚えています。

なぜなら、自分がいう「自由」の概念に近いなぁと感じたからです。


『私は、いつも自分に素直に生きることを追い続けていきたいのです。

「自由」こそが私のエネルギーを生むのだし、「自由」であることが自分にとっての幸せの基本のひとつだと言うのに。(私にとって束縛は、愛から最も遠い位置にあるような気がします)』


この恭子さんの言葉からは、場合の2つのメッセージが読み取れるます。

1つ目は、揺るぎない「自分」という価値基準で生きることを貫くことが自由と同義である。

2つ目は、私が冒頭で言ったような、生きるために必須な物質であるようなニュアンス。



ちなみに国境を超えて文化が違えど、「自由」を本能的に追い求める「人種」が一定数いるようですよ。(確か、どこかのアメリカの論文で出てたけど詳細は忘れちゃった・・)

これは私自身もなぜだか分からないけど、物心ついたといいから「自由」というものに強く憧れていたし、もっとも欲していたものだと言っても過言ではありませんでしたね。


つまり、自由と一言で言っても、十人十色で、様々な形の「自由」が存在するということ。


このおぼろげな概念をただただ、なんとなくで掴もうとしているうちは、

まるで雲を掴むような不確実な行為になってしまう。


だから、もっともっと、自分にフィットする自由の定義をクリアにしてみよう。


アナタが連想する自由のイメージって何ですか?

どんなことをしている時、または、していない時が自由だと感じますか?


一度、考えてみるのもいい機会かもしれません!



それに結局、「自由」とは、自分にとって価値あるもの(価値観)を大切にする時間を多く過ごせる人に、私は自由を見出だしますね。

人生の夜明け、0.1%の奇跡を起こす力。

人生の夜明けと、0.1%の奇跡。


今年も残りわずかとなりましたね。

私はと言うと、いよいよ来年で20代ラストイヤーの年になるようです!


「大人(成人)になったら、こんな所(地元)早く出てやる!絶対に自分の好きなことして、早く理想の自分と、望む未来を手にいれるの!」

って、血の気が多くて生意気なティーンエイジャーだった私が、昨日のよう。笑



「とにかく20代はあっという間に、転がるように過ぎていくからね!」

と、人生の先輩方が口を揃えて言っていた言葉を今、ヒリヒリと痛感しています。


だってあの時は、まさか自分が30歳になる想像なんて1ミクロンも出来なかったし〝 永遠に若いまま 〟な感覚で生きてたから。



そんな30代という人生の節目を目前にし、偶然にも「新時代の幕開け」が訪れる年末とともに、


「やっと夜明けが来た・・」


そんな手応えを感じています。



というのも、私の20代のスタートは、「試練」から始まりました。



過去、それまでは辛いことや悲しいことは大なり小なりあったけれど、

なんだかんだで順風満帆に進んでいたかのようにみ見えた10代。



しかし、その歯車が狂い始めたのは高校三年生の冬。

忘れもしない19歳のときでした。


起業詐欺で200万円の借金、洗脳生活、社会不適合な自分を責めてうつ病を発症。

プライドだけが高く、完璧主義を極めていた私は、理想と現実との乖離に耐えきれず、長年の引きこもり生活をし、そしてその闇に比例するかのように買い物依存症にもなっていきました。

しかし持ち前の強運で一度は挽回し、理想の生活を共にする人と出会うも、あることがキッカケで「本当の自分を追求すること」を選択し、婚約破棄。


その後、ユートピアとも思えたスピリチュアルの世界で迷走し、〝 目に見えない世界の沼 〟にハマり、現実を生きるための〝 方向感覚〟を失うことになります。


オマケに、怪しいセミナーにもお金を散財した華麗なる情報弱者っぷりを発揮していました・・苦笑


つまり、20代前半を「内なる世界の格闘」に捧げた7年間。


まるで「先の見えない長い迷路」に迷い混んだかのように、一筋の光すら見えない真っ暗な闇が続きました。



ブラックホールに入り込んだの、私?」

って思うくらいに、「試練」以外の言葉が見つからないくらいのセンセーショナルな出来事が次々と身に起こった。


まさに、この時期は『人生最大のドン底期』でした。



まるで、体内に溜まった老廃物がデトックスされるかのように・・

魂に記憶されていた業(カルマ)を燃焼しているかのように・・


実の話、「この人生をいっそのこと、終わらせてしまいたい。そうした方が楽になれるんじゃないか」

と、考えたことは一度ではありませんでした。



だけど、それでもどこかで、

「両親が与えてくれたこの命を、『私』として生を受けたこの奇跡を、自らの手で無駄にしちゃいけないんじゃないか・・」


と、人生を諦め切れない自分が、踏みとどまってくれました。



そんな、たった0.1%の望みを託し、「明けない夜はない」と信じて、ちょっとずつでも〝 歩み 〟を止めずにいたからこそ、今の私が存在してる

と思っています。



だから「よく頑張ったね、よく耐えたね、あの時の私、ありがとう!」

強くハグしてあげたい気持ちでいっぱいです。


本当に、本当に、長かった夜が明けて、やっと見たかった景色が見えてきた。


やっと視界がクリアになった。

そして、心にも光が差し込んできた。

「夜明けがやってきた・・」と。



鬼滅の刃』だと、最終話。

(ストーリーのネタバレしたくないっていう人は飛ばしてね!)



鬼舞辻無惨との壮絶な死闘が続き、柱たちはボロボロになりながらも、

たった1ミリの可能性に賭けて、誰一人として諦めずに持てる力を絞り出して、全力で食らいついていく・・


それは一重に、

『大切な人たちが笑顔で天寿をまっとうできる、鬼のいない幸せな未来』


を自分たちの代で絶対に現実させるんだ、という「強い信念」が突き動かしているから。


例え、自らの命も差し出してでも惜しくないほど、自らの責務であり、使命であり、それが人類の悲願だから。


そして様々な犠牲を払いながらも、最後には美しい夜明けが訪れる・・


その大きい安堵が全体の空気に伝播し、包み込み、静寂な世界がやってくるのです。


(最終章の23巻は涙と鼻水ボロボロ、目から水の呼吸が止まらなかったよー!号泣)




そう、人生には「激痛」を伴う出来事が突然降ってきたり、突如沸きだすことだってあるんです。


「私って生きてる意味あるのかな?」

「もぅ生きる気力が湧いてこない。」

「もぅ人生終わったわ。」


そんな残酷な現実に打ちひしがれたり、発狂しそうなくらい理不尽な言葉を浴びせられたりする時もある。


息をすることすら苦しいときだってあるし、

それこそ私のように、出口の見えない長いトンネルに突入する時期だってあります。



だけどね、いずれ「あの時の経験があったお陰で今の私があるんだ!」

って思える日が、必ず来るようになってる。

これは私の経験だけから言っているのでなく、歴史上の偉人や成功者、経営者といった人たちが持っている、いわば〝 共通のストーリー 〟なんです。


よく『神様は、自分が越えられない試練は与えない』って言いますよね。まさに、アレです。




そう、つまり人生は、このたった0.1%の「未来(自分)を信じる力」の差だけで決まる。と言っても過言ではありません。


というより、この小さな違いが、後々大きな違いに発展していくということです。


それは『神様からのテスト』なのかも!とも思えるほど。



だから99.9%の「闇」に覆われていようと、たった0.1%だけでも、「光」と繋がっていられたら・・

間違いなく未来は変わります。


これは私自身が、自分の人生と幾度と対峙し、乗り越えたからからこそ、言えることです。


(このトピックを語ると永遠と尽きないので、またの機会に人生との向き合い方を記事にしていきたいとお思います!)




そんな、私自身が〝 人生の第二章 〟を綴るような気持ちでスタートしたこのブログ。


そしてテーマでもある『悠々と、甘美に、純度の高いユニークな自分で遊ぶように生きる』を体現する様を、リアルタイムで発信していきたいと思っています。


嗚呼、これからが楽しみです。💕💕


それでは、また!

「人生をやり直せるなら… 」ある偉大な経営者からの手紙。

「人生をやり直せるなら… 」ある偉大な経営者からの手紙。


もう一度人生をやり直せるなら・・


今度はもっと間違いをおかそう。

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。


絶対にこんなに完璧な人間ではなく、 もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。


もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、 もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にも、もっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに 食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、 頭の中だけで想像する厄介ごとは 出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、 春はもっと早くから裸足になり、 秋はもっと遅くまで裸足でいよう。


もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、

もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。


もう一度人生をやり直せるなら・・・・


だが、見ての通り、 私はもうやり直しがきかない。

私たちは人生をあまりに 厳格に考えすぎていないか?


自分に規制をひき、他人の目を気にして、 起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり構えたり、落ち込んだり・・

もっとリラックスしよう、 もっとシンプルに生きよう、


たまには馬鹿になったり、 無鉄砲な事をして、 人生に潤いや活気、

情熱や楽しさを取り戻そう。



人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。


P.F.ドラッカー 享年95歳


嗚呼、なんてストレートな表現、スッと心に沁みる言葉なんだろう。



ピーター・ドラッカー」は、日本でも言わずと知れた人物ですよね。

経済学者であり、経営マネジメントの〝 大家 〟とも言われています。

著作の『マネジメント』は、あまりにも有名で、大手企業の経営者のバイブルになっていたり、

2009年には「もしドラ」(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)の大ヒットで日本での知名度も爆上がりました。

しかし、彼の〝 作品 〟は有名でも、案外〝彼自身〟について知っている人は多くない。



ドラッカーは、ユダヤオーストリア人として生を受けました。

前回、同胞である「ハンナ・アーレント」の記事も書きましたが、やっぱり彼も、ナチスによる迫害から逃れています。

イギリスを経てアメリカに渡り、巨大企業や組織についての研究を熱心に行い、その研究が評価されて、世に名前が知れ渡りました。



そんな偉大な功績を遺した彼が、こう言うんです。

もっとリラックスしよう、

もっとシンプルに生きよう、

たまには馬鹿になったり、

無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、

情熱や楽しさを取り戻そう。


この手紙(ポエム)を読んで、貴方はどう思いましたか?

何を感じ、何を考えましたか?

そして今日から、または明日から何を変えて、何を大切にして生きていたいですか?


人生の〝 アソビ 〟こそが、本当の豊かさを生み出す〝 スキマ 〟なのかもしれませんね!