ネコ科の女の探求聖書

見えない世界を見方につけて、アナタ独自の楽園を生きる

『悪は悪人ではなく、思考停止の凡人がつくる。』

『悪は悪人ではなく、思考停止の凡人がつくる。』
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/


さて、前回は、怒りのエネルギーに任せてブログを書き綴ったワケですが、居てもたっても居られなくなり、衝動的に本棚を整理していたんです。

そしてらこんな言葉が出てきたの!

悪は悪人ではなく、思考停止の凡人がつくるハンナ・アーレント


もぅ鳥肌がたった。そう、まさに私が感じていたことは、それなの!


ちなみに「ハンナ・アーレント」は、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者であり思想家です。

ナチスに追われ、アメリカに亡命し、その後、教鞭をふるった先進的な女性。

そして「全体主義を生みだす大衆社会分析」で知られている、ちょっと凄い人なんですよ!(蟲柱・蝴蝶しのぶ風!)

そんな彼女の遺した言葉には、「言霊」のようなエネルギーを感じられます。


ちなみに、その当時を再現したノンフィクションとして映画化もされてるの!

予告だけでも、ウルッとジワッと来るのは私だけでしょうか?


youtu.be


世界的な大虐殺を仕掛けた『ヒトラー』を生んだのは、元をたどれば「善意の国民」だったワケです。

そしてハンナ・アーレントが問題にしてるのは、大虐殺を行った強制収容所の責任者であった『アドルフ・アイヒマン』という男のこと。

その彼の犯した〝 本当の罪 〟を、彼女はこう主張しました。

アイヒマンは、ただ命令に従っただけだと弁明した。彼は、考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。そこには動機も善悪もない。


思考を辞めたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。私が望むのは、考える事で人間が強くなる事だ。


なんという鋭い考察!

「これはナチスのケースだから、私たちには関係ないじゃん!」って早合点するのは、ナンセンスです。

そして現代人である私たちは、人類史上、最も豊かな社会を生きているにもかかわらず、「思考停止で生きている人」が多いということ。

いや、もっと言うと、「思考停止でも生きられてしまう社会」なんです。


しかし残念ながら、ベルトコンベアのように流されるままに生きていることが、イコール「幸せ」に繋がっているとは限らない、ということが皮肉ですね。

そして冒頭にも書いたけど、日本人は特に「働くこと」「人間として生きること」に対して、物凄く偏ったバイアスがかけられてる。

本来は「生きるため」に働くものなのに、「働くため」に生きてい人が物凄く多いんだもん。


悲しいね、なんでかな。

それは義務教育であったり、偏った親の価値観であったり、旧時代スタンダードだった「古いパラダイム」で生きてるからじゃないかな。


ねぇねぇ、もぅ時代は変わるのよ!


だからこれからは、心のままに生きていきませんか?


自分にフィットする、自分サイズの幸せを見つけませんか?



それでは最後に、私が愛するシャネルの言葉を贈ります。

悪は悪人ではなく、思考停止の凡人がつくる。
1964年当時のココ・シャネル SHAROK HATAMI / SHUTTERSTOCK (c) FAIRCHILD PUBLISHING, LLC

かけがえのない人間であるためには、人と違っていなければならない。

私は、私の人生を作り上げた。なぜなら、私の人生が気に入らなかったからだ。


それでは、ciao 🦋

貴方の人生は、貴方のものです。

泣きたいくらい、悔しい。


どうして人間の可能性を潰す経営者ばかりが、社会に蔓延っているのかな?

会社は「利益」がすべてですか?

数字を上げることだけが、ビジネスの「正義」ですか?

人間としての尊厳は考えず、機能性としての「労働力」ですか?

 

ある従業員が「辞めたい」と切り出した途端、会社側は必殺・手の平返しをしました。

「来年になれば、もっといいように環境も人材も変えるから!」

 
「これからは、もっと待遇するから!」


結局、そんな言葉を信じてしまい、またズルズルと現状にあまんじてしまうはめに。

 

確かに、新しい環境に移動するということは、人間である以前に、生物として考えても多少の痛みやリスクをはらむことです。

 
「とは言われたものの、実際はどうなるか分からないし、辞めたい気持ちは変わらない!」


いやいや、そんな気持ちを宿してまで、その場にとどまることが、どれだけのリスクをはらんでいるのかを彼女は知らない。

 

あんなに不遇な目に遭ってまで、なぜその環境を〝 選択し続けている 〟のかが分からない。

きっと彼女は、「私が決めてるわけじゃないの!」と反論するかもしれない。だけど残念ながら、選んでいなくても、選んでいるのだ。

これは実存主義を世に知らしめた、『サルトル』の言葉です。

 

コントロールする側の甘い言葉に誘われ、流され、希望的観測でしかない言葉に惑わされ、土壇場で揺らぐ心。


貴方もしょせんは、損得勘定ですか?


なんで、自分以外の誰かのために人生の貴重な時間を消耗し、エネルギーを奪われ、命を削っていることに気づかないのかな?

なんで、物事をもっと広い視野で、人生レベルで考えないのかな。


 
我慢は美徳?

それはケースバイケースです。

それに大前提、「忍耐」と「我慢」は似て非なるもの。

つまり「耐えて実になる努力」と、「削られていく我慢」はまったくもって違います。

 

そんななか、私は言葉しかかけてあげることが出来ないもどかしさ。

やりどころのない悔しさを、今文字に起こし、吐き出してるなうなの。

 

決めるのは「本人」だって分かってる。


お節介はしないように、誘導尋問のように自分の価値観の押し付けはしないように、気をつけて話はする。

言葉はデリケートだから、注意を払ってチョイスはするけど、やっぱりいいように使われるのが目に見えている状態で、決断を相手に委ねるのはやっぱり胸が痛みます。


だから今、スゴく切ないの。

 


「人間」は、誰もが例外なく、素晴らしい才能の種を宿して生まれてきます。

それは貴方も、私も、皆平等に。


とはいえこれは、スピリチュアルな話ではなく、極めて〝 現実的な話 〟です。


あくまでも「種」だでしかないということ。

だから自分で発芽させ、手をかけ、養分を与え、時間を要しなければ、当然「才能」という花も咲かないし、「豊かさ」という果実も実らない。


世界的に有名なベストセラーを生み出したジェームズ・アレンの著作にもある通り、この現実世界は『因果関係(カルマ)』によって引き起こされている、ということ。

量子力学でも結論が出ていますが、人間の意識から、すべてのものは創られ、造られますから。


だから何度も言うけど、「人間」は、誰もが例外なく、素晴らしい才能の種を宿して生まれてきます。


だけどね、問題は、すくすく育っている芽を摘む人たちがいるっていうこと。


それも大勢いる、もっと言えば、国単位の組織で行われる。

 
それが本当に、本当に悔しい。

 

皆本当は出来るのに、もっとやれるのに、心ない不勉強な人たちに、その希望の芽を踏みにじられ、しまいには「花を咲かせる」意思すら放棄させられてしてしまう。


私たちは、「花」だということを忘れさられてしまうの。

 


「弱者」と「強者」という言葉も、響きも好きじゃない。

だけどキレイゴトで抜きにして、理不尽な想いを強いられ、不遇な境遇にいるのにも関わらずに、それに気づかないのか、気づかないふりをしているのか。

その心境は分からないけれど、とにかく「自分では何も出来ない」と思い込み、思考や感性を働かせることを放棄し、ニンジンをぶら下げられながら良いように利用され続けるのは、「弱者」以外の何者でもありません。

 

私腹を肥やすために、人間を労働力としか扱えない「支配者」も嫌いだけど、思考停止で生きているくせに、被害者意識丸出しの「弱者」は、もっと苦手です。

 

もっと、健全でフェアな世の中になって欲しい。

もっと、人生の可能性に気づいて欲しい。

もっと、自分と言う人生のパートナーのことを理解してあげて欲しい。

 もっと、心豊かに生きて欲しい。

 

・・って、「欲しい」っていう他力本願な考え、私もダメね!

 
以前までは、私達一人が世の中を変えることなんて出来ないと〝 思い込んでた 〟

そうやって、自分の可能性の芽を摘んでいたのは紛れもない、自分自身だって言うことに気づいた。

 
だけど今回、しょせんは他人事なのに、こんなにも悔しくて、胸が痛い。

この「怒り」というエネルギーによって、行動を促されたようです。

 

一人がフラッグを挙げないことには、何も始まらないよね。

1から5、5から10は、試行錯誤をすれば、もっと言えばテクニックでも案外いけちゃうものです。

 
だけど肝心の0から1の「起動力」を使う時にこそ、最もエネルギーを必要とするんです。


飛行機だって、離陸した瞬間から軌道に乗せるまで緊張感が漂うし、ビジネスだって軌道に乗るまで辛抱しないといけないこともある。


つまり、0から1の「軌道に乗せる」ことは、どの分野に置いても共通する部分であり、現実化までの普遍的な『法則(ルール)』なのかもしれません。

 


ということである意味、今回の経験は私にとってはショッキングでもあったけど、結果的に良いキッカケを生む機会となりました。

というか、お陰で、やるべきことがクリアになった。

 

もっともっと、心のままに、豊かに生きる人々を増やしたい。

もっともっと、自分の可能性に生きて、二度とない人生を主体的に、自分の未来を創っていける社会にしたい。

 

もちろん「社会」っていっても、単位がドでかいので、その最小単位である「個人」の意識を変えることが先決ですね。


マジで、皆さん、これからの時代は “ Return to Human ” です!

 貴方の人生は、貴方のものです。


そして人生は、自分のアート作品です。

『自分でデザインし、創造していくもの』だから。